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空風 海月

Author:空風 海月
空風海月の日記です。
私の生き様が、考えが、誰かの役に立てばいいな、なんて思っています。

もっとみんなが気兼ねなく幸せになれて、楽しく生きていける世界が作れたらいいのにな、と思っています。
そのために私に、誰に何が出来るのかについても、僭越ながら書いていきたいと思っています。

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嘘つきのうた。
生きづらい、死にたいと考えている人って、多分嘘つきのうたを歌っているんだと思います。
自分をどんどん辛くする、「自分は幸せになっちゃいけない」という内容の歌。
この歌をいつから、どうして歌うようになったのか。それは分かりません。たとえ分かったとしても、それを完全に癒すことは恐らく不可能でしょう。
傷は傷跡として一生残るものです。深ければ深いほど。でも、それでいいはずなんです。綺麗なままの心や過去なんてありえないし、面白いとも思いません。

経緯と原因を見つけて改善する、という方法は、嘘つきのうたには通用しません。
何より時間がかかり過ぎる。そして、原因を癒そうとし過ぎると、次にどうするのかという一歩がなかなか踏み出せなくなります。行動はやっぱり早い方がいいんです。今日より若い日はないのだから。
しかも、嘘つきのうたは行動している時は弱まります。特に新しいことをしていれば。
「自分は幸せになっちゃいけない」と思いながら、しかも新しいことに対しての不安と期待を抱えて動くなんて器用なこと、人間には出来ないと思います。
そんなたくさん脳を使ったら、倒れてしまいますよ。ショートします。


幸せになっちゃいけない。
私もどこかでそう思って、嘘つきのうたを歌い始めました。
そして、自分の感情や思考にどこか嘘をつき続けています。今はだいぶ、それ嘘でしょ?と自分に問いかけることが出来るようになりましたが。
ショートして、動けなくなって、やっと気付きました。多分、うつ病とか精神疾患を患う人はどこかで嘘つきのうたをうたっているんだと思います。

だから、ここで、幸せになっていいよ、と自分で決めて生きましょうよ。
そんなの決めていいの?と思うでしょうが、私が決めました(笑)
この日記を読んだ方は、幸せになっていいと勝手に決めました。なので、幸せになってくださいませ。
私の勝手な願いです。

嘘つきのうたを歌わされていた自分を、一度抱きしめてあげてください。
涙がこぼれたら、一緒に泣いてください。
嘘つきのうたが、きっと素敵な音色に変わるはずですから。

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思考 | 23:42:23 | トラックバック(0) | コメント(2)
たとえば。
私という人間が生きた道が、誰かにとって参考になるものだとしたら。
私という、かつての自殺志願者が自殺願望を捨て切れず、日々死にたくなりながらも「何か」に向かって動いている様を、無様ながらに記録として残していければ。
女性という、常に闘っていかないといけない性別で、少なくなったとはいえ依然として残る差別的なものに対して屈せず、何か活路を見いだせれば。

そんなことを考えながら、日々生活しています。
自殺志願者の結論は、死ねない、ということなんですよね。結局。
別に毎日が楽しいという訳でもなく、毎日充実してるなんて言えず、ただ必死に毎日生きてなんとかしようと考えているだけです。たまには動くけれど。


今日ふと思ったのですが、人間が生きていることに、恐らく意味はありません。全くと言っていいほど。
だって、死にたくなる程度のものなんですから。生きていることに意味があると思うのなら、死という単語は思い付かないはずです。死こそ、生きていないから、意味がないということになるので。
ただ、人間は「意味のないもの」に耐えられないようになっています。
だから散々苦労して、意味を探そうとするんですよね。様々な人生哲学がそれだと思います。
その探求は、きっと意味あるもので、私はそれを否定する気は全くありません。意味が見つけられたなら、それは素敵なことですから。

でも、多分、深く自殺を考えたことのある人なら、意味を見出すこと自体出来ないことが多いと思います。
自分の生を肯定するなら、他の動物、自分が今食べている動物の生も肯定することになります。つまり、意味のある生を、死にたいと思っている意味を見つけきれていない(=無意味な)自分が食べている。無意味に殺している。そういう理論に行きつくと思います。
ヒエラルキーだなんて、そんな簡単に割り切れないんですよね。自殺志願者は。そのヒエラルキーに疑問を抱いてしまっているから。
なら、もう、「意味がない」と決めてしまえば良いんだろうと思います。意味がないから、意味を作りだすか、もう意味を気にせずに生きるか。その二択にすればいいと思います。
どちらも素敵だと思います。何も考えず、当たり前だと思って楽しみながら生きているよりも、当たり前でない生を意味あるように生きるのか、意味を気にせず楽しく生きようとするかを決めるんですから。
そして、決めたことは一生守らなきゃいけないということもない、と決めておけばいいんです。そもそも意味ない生命が、意味ないことを勝手に意味づけているだけなんです。変えようがどうしようが、意味ないんです(笑)

ややこしい書き方になってしまいましたが…
要するに、意味を求めて分からないのなら、「意味なんてない!」と開き直ることで、二つの選択肢に絞られますよ。ということです。
一つは、意味がないのなら、自分なりに意味を作りだしていこうとすること。
もう一つは、意味がないのなら、意味とか難しいこと考えずに楽しく生活すること。
そのどちらかを、一時的にでも、選択して実行すること。それだけでいいんだと思います。
他の選択肢として、もう分からないから死ぬ というのもありますが…私はそれを止めはしませんが…ちょっと悲しいなと思います。
数年前、死ぬ事しか考えていなかった私でも、病院に行かず、なんとかここまで生きてこれたので…。ここまでの間に、「楽しい」という感情も取り戻せたので…。

断定する、ということ、もっと平たく言えば「選ぶ」ということ。
ミスしても構いません。選んだことを褒める勇気を持てたらいいな、と思います。私も含めて。

思考 | 22:03:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
退屈。
「なにしてもなにしてもつまらない病」というのに、小学生低学年ごろ、私は罹患しました。
まだ10代にもなってないのに、毎日何をしてもつまらなくて、退屈で苦痛でした。
その後、何に対して特効薬を見出したのか、どれだけ考えても思い出せなくて、わかりません。
今もまた、厄介なあの病気にかかっているのに。

紛らわす、というのにも限界がきていて。
恐らく「何か」を見つけないといけないんだなと思っています。熱中出来るような、何かを。
出来るのなら何かを生み出すことをしたいなと思っています。絵を描こうか、ピアノを弾こうか。でも、どちらもなんだかうまく出来なくて。
焦っても仕方ないのに、普通に生きることすらままならないのに、普通じゃない生き方をしたいなんて願ってみたり。
誰かに見て欲しいから、という訳でもなく、単純に、普通の生活がつまらないんです。安定が、過保護に近い守られ方が、首を絞めている気がします。

どこか遠くへ行きたい。
息苦しい場所から離れて、白クマが北極に住むのと同じように、私に合う場所を探す旅へ行きたいです。
もう、過剰適応は疲れました。

日記 | 21:11:35 | トラックバック(0) | コメント(0)
棘の道。
よく考えてみれば、私は「普通」じゃないんですよね。
それなのに、普通にこだわっていた。これが生きづらさと先行きの見え無さに関連していたんだな…と気付きました。

私が就活という道を選んだのは、結局、おかしい部分をおかしい!と言えない、しかも分かっていても見て見ぬふりしている状態をどうにかしないと。と思ったからで。
専門知識を活かして、心理職に就くことも考えましたが…それじゃ、個人を「奴隷的に」変えてしまうような気がして怖かったんです。本当に変えなきゃいけないのは、おかしいのは、個人なのか?という疑問に対して、誰も答えてくれませんでした。
私はずっと、自分が儲けようだとか会社を大きくしようだとか、そういうのは副次的なものだと考えていました。
そして今も、この考え方が間違っているとは考えていません。だって、おかしいものを無視し続けた結果が、今の世の中でしょう?どこかで誰かが動かなきゃ、どうしようもないじゃないですか。

社会を変えたい、なんて思ってはいませんが、とにかく何かしらの影響を与えるように、私と私の周りを良い方向へもっていきたいなとは思っています。
社会なんて変わらないよ。ナポレオンもヒトラーも、社会は変えたけれど、その分多大な犠牲も出している。それじゃ、支配者が変わるだけなんです。本質的に変わっていないんだから、不幸の再生産でしかない。

なら、私が、今からどうするのか。
この方向性を考えなきゃいけません。自分で責任取って、考えてまた動いて。そうするしかないんですよね。
どこからなら、良くしていける?どうしたら、私みたいに自殺願望を持つ人を減らせる?自殺願望を持つ人でさえ生きていける場所になる?
どうしたらいい?

もっと考えて、そして動かなきゃいけないなと思います。
なんか最近よく言われるんです、「海月はお茶くみとかそんなので終わる人じゃない」って。
そんなので終わっちゃいけないのかもしれませんね。なんて。

日記 | 17:18:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
他人のため。
最近、本当にいろんな思考が行ったり来たりしています。
ですが、結局大事なのは、どういう理由や意図で、それを選んで実行したのか。ということに尽きるようです。
どれだけ考えても、行動しなきゃ意味がないんだな、と。考えもせず行動するのが良いとも私は思いませんが、考え過ぎて動けなくなるのなら、行動した結果出てきた結果を受け入れてやる!ぐらいの覚悟を持つ方がいいのかもしれません。

他人任せにしていた訳ではありませんが、他人にかなり影響されていたんだな、と思う今日この頃。
まぁ、どう考えても避けようのないことだったんですが。私は、厳しい言い方をすれば、子どもなのに大人に利用されていたんですよね。ずっと。
大人の思考までもある程度理解出来てしまったから、「大人」という人間に憐みを感じてしまったから、「子ども」という元気さを武器にして、カラ元気を使いながら、私は大人を助け過ぎた子どもでした。
そしてその反動が暗い5年になります。我ながら、よくやったと思います。青春とか大人のために浪費したわ(笑)

でも、私もその「憐れむべき大人」の仲間入りをしました。今では酒もたばこも嗜んでいます。
とはいえ私は、子どもをダシにしたり、他人を生きがいにはしたくありません。それは、他人を利用して自分を立てているだけの逃げでしかありません。
「あなたのため」は自分のためです。本当に他人のためになることは、嫌でも苦しくても自分しか出来ないし、他人に頼らずやるしかないことを、必死になってやることです。それが出来てない「他人のため」は自己満足と同じです。自分のためにやってるのに、何が他人のためだ。甘えんな。と思います。

ボランティア一つ取っても、自分がさせてもらってる、と思っているうちは自己満足にすぎないのでは?と私は考えたりしています。自分の好きな時にだけ手助けをするのは、ボランティアという名で美しく着飾った、自分のためです。嫌だと感じてもやらなきゃいけないのが、他人のためです。
仕事は、超他人のためです。自分が気に入らない商品であってもお客さんが気に入ったのであれば、「こんな商品良くないのに…」みたいな気持ちを殺して、お客さんの好むようにアレンジしないといけません。そこに、自分の好みとかは全く関係ありません。
自分の好みと商品とお客さんの好みが一致したら、きっとそれは幸せでしょう。でも、それはなかなか難しいと思います。ないとは言いませんが。

他人のためにやることは、正直つらいです。自分を殺すから。だから、感謝だったり何か違う点での見返りがあったりします。恩返しとでもいうのかな。
自分のためにやることは、やっていることを楽しんでいるのだから、見返りはないです。好きでやっていることは、経済的な観点で言えば、まぁお金にならないことが多いでしょう。
見返りを求めないのが愛だ、と言いますが、あれは自分のためと他人のためが上手く融合した結果でしょう。自分がしたいことと、相手のためになることが一致すること。それが愛というものかなと思ったりしています。

では、この愛という状態になれる「何か」をいつ見つけられるのか。いつ達成できるのか。
自分で掴みにいくしかないんですよね。結局。
すべてはバランスで、難しいですね。私ももっと、上手く立ち回れたらいいのにな。

日記 | 15:32:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
ゆらゆら。
浮いたり沈んだり、そんな日々を送っています。
一つ選んで一つ捨てて。そんな取捨選択が苦しくて。でも、やるしかないので、やるんですよね。
生きるって、どれだけの物を捨てていくことなんでしょうか。それらを上手く弔うことが出来れば、まだいいのですが。
弱肉強食で、あちらを立てればこちらが立たず、いつもそんなものです。
この選択の明るい部分だけを見て、楽しいと私は上手く言えなくて、いつも口をぱくぱくしています。

海月は海月らしく、ふわふわゆらゆら生きています。
もっと上手く泳げるのなら、目的地へと向かえるのなら、素敵なのですが。
でも、ゆらゆらしながら生きる日々は、実はそんなに嫌いじゃなくて。
風に流され、海流に流され、海月は生きています。

日記 | 21:23:53 | トラックバック(0) | コメント(0)

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