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空風 海月

Author:空風 海月
空風海月の日記です。
私の生き様が、考えが、誰かの役に立てばいいな、なんて思っています。

もっとみんなが気兼ねなく幸せになれて、楽しく生きていける世界が作れたらいいのにな、と思っています。
そのために私に、誰に何が出来るのかについても、僭越ながら書いていきたいと思っています。

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過去の自分へ。
いろいろあったね。ただ、今思えばあなたはなかなか酷い人間だったよ、と。そこだけは怒っておきたいと思うんだ。

あなたは責任感がとても強かった。本当に強くて、しかも生真面目で。信頼を得るということにおいて、困ることはなかっただろう。
ただ、いつからか、頼みや期待を裏切ることを覚えたね。それは多分、もう無理!ってことを、精神的な辛さを発散するひとつの手立てだったんだろうと今にして思う。そんな伝え方しか、出来なかったんだよね。いっぱいいっぱいで。

今だいぶ精神的な波も乗りこなせるようになって、思う。あの時、もし頼みを達成出来たら、もしかしたらここまで罪悪感に苛まれることもなかったのかもしれない。出来ないことによる自傷。無価値であると他者へ認めてもらうための手法。そこまでして、死にたかったんだよね。自らを追い詰めて、追い詰めて。

「幸せになる覚悟をもて」
大切な方々によく言われた。今は少し、幸せに対して優しく接することが出来るようになったよ。望まなくても、自殺って望みは未だに叶わないけどは、なんかね、あなたをずっと支えてくれる人が、いつの間にかたくさん現れて…そして今も続いてるんだ。不思議だよね。
社交的だ、悩みなさそう、なんて言われる人になるんだよ。びっくりだよね。今も私はまだ、ビビリで根暗で、悩みしかないけどね。笑

なぜか私を気にかけてくれる人が、年々増えるんだ。仕事とか部下だから、だけではなく。それ以上に。愛されるようになるから。今から私は、人を愛することを頑張ろうと思うよ。優しく、すべてを受け入れ愛するように。
その具現化として、絵を描くようになったんだ。直接愛を言えるほど、私はまだ強くなくて。情けないけど。


せめて、私以外の人は笑えるように。
それじゃ笑ってくれない、納得しないしなんなら怒ってくるような、変で素敵過ぎる人達に出会えるから。
人生、20歳越えてからだよ。だんだん楽しくなるからさ。失敗ばかりだけど。
生きて。もう少し。いつもあなたを思っているから。愛しているから。

あの時から8年後の、海月より。

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思考 | 09:42:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
もし。
暗いので伏せておきます。
少し、疲れた。







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思考 | 23:19:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
夢見
夢を見られる・遊べるって、子どもだけの特権だと思いすぎですよね。なんか。
夢と現実、という言葉が当たり前のようにあり、私も大人になったら夢なんて見られないんだろうな…と思っていました。でも、大人が楽しんでなかったら、子どもが楽しい訳ないんですよね…。
自分を犠牲にしてまでも、というのが親に求められる姿勢なのかもしれませんが、実際、そうしたくなるのが親なのかもしれませんが、子どもは馬鹿じゃないんですから、わかります。無理してること。
勿論嬉しいけど、その無理してくれていることが、後で重荷になる子だっています。加減の問題だし、難しいなとは思いますが…。

そんな感じで、いろいろと抑圧し続けた大人が、精神を崩したりしてしまうんですよね。それって酷い話だよなと思います。
というか、大人は現実を見ろ、みたいな感じが多いですが、それ、つまんないからやめようよ。と思います。
幸せなことに、子どもの頃にちゃんと夢を見て遊べた子ならいいですが、不幸にもそれが出来なかった子は、一生夢を見ることも出来ないんでしょうか。
そんな風に世間が騒ぐから、子どもしか出来ないとか言うから、「不幸な」学生時代を送った人は自殺したりもしてしまうとも考えられます。
例えばいじめを苦に自殺した子がいたとして、直接原因であるいじめをした子は勿論悪いですが(たとえ何か理由があったとしても、他人を意図的に傷つけるのはダメです)、「子どもにしか出来ない事がある!」なんて偉そうに言う、「大人」という元子どものプレッシャーも大きいため、大人だって悪いはずです。
だって子どもにすれば、大人や世間の言うことは、「正しい」訳ですから。

あと、大人が夢を見たり遊んだりしちゃいけない理由は、「子どもの頃にそれをしたからだ」という理屈が通っているからのでしょうか。それって、かなり乱暴だと思います。
遊べなかった子は、一生遊べないんですか?夢も見ちゃいけないんですか?何で?
現実を見ることは大切ですが、夢を見ることは子どもだけの権利なんですか?誰が、何のために、そんなこと決めたんですか?多分それ、ずる賢い奴が、誰かを支配するために考えた詭弁ですよ。


夢を見ている人を妬むのは、夢を見られるはずだと、見たいと思っているからで。
夢を見せてくれる人の周りに人が集まるのも、きっと同じ理由です。
嘘付くの、やめようよ。もう。自分のためにも、未来の子どものためにも。
大人は楽しいよ、早く大人になってみな♪と、言えるような世界にしましょうよ。不安はあっても、自分たちでなんとか出来るはずだって、そう思わせるように。
私は、楽しくて仕方ない♪と生きている大人を最近まで知らなかったので…大人は嫌なんだと思っていました。自力で、大人になるのも悪くないよなと、動いてみてやっと分かりました。まだ、嫌ですけど。
それって、経済とかの話でも、きっと勿体ないんですよ。大人やだなーと思うから、仕事にも身が入らなかったりするんですから。


夢を見て、夢を見せられるような人になりたいです。
「大人の遊び」は、お金を使って、強制でなく自主的に、何かを学んで習得して、それを活かしていくことだと思います。酒や女、ギャンブル、旅行、そんな型にハマったものだけではないはずです。何で賢くなってるのに、遊びの数が減ってるんですか…おかしいですよ…。
多分、「夢を見て、夢を語る」って、とても楽しいし、大事なことだと思うんです。大人の遊びにふさわしいのって、こういう未来の展望を考えたり、実践したりすることだと思います。こんな閉塞感漂う社会状況だからこそ、余計に。
そんな、夢を当たり前のように語れる、遊べる場所を作りたいです。
私が、これからもっともっと遊びたいから。学生時代は、遊べなかったもんな…。

思考 | 23:43:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
当たり前という話。
「だってそれが当たり前じゃない」「そういうものだから仕方ない」
そういう思考が、最近すごく辛くなっています。何で?とどうしても聞いてしまう。面倒な人間になっています。
当たり前だから、仕方ないから、何?その次は?そこで終わるのは全く意味ないんじゃない?と考えてしまって、堂々巡りになって、いろんなことが面倒で嫌になって死にたくなる。そんなことの繰り返しです。

馬鹿になれない馬鹿、ということなんでしょう。
でも、私はこの思考法が間違ってるとは到底思えないんです。だって、おかしいもん。思考停止して、それで誰のためになるの?誰が得して、誰が不利益を被って、結局、誰がしあわせになるの?
親に聞いてみても、割と真面目にめんどくさがられ、次第に喧嘩っぽくなってしまうし…身近な大人に聞いても、「深く考え過ぎるからしんどくなるんだよ」と諭され。。。
逆に問いたいんですが、大人たちは、これらの疑問を解決したんですか?解決して、今のこの生きづらい社会なんですか?というか、生きづらいのは私だけですか?
そんなこと、ないですよね。きっと。少なくとも私の周りの若い人たちは、絶望感や鬱的なものに苛まれている人が多いですし…。

変えなきゃ、と思っている人は多分多いです。だって、自分が生きにくいから。辛いから。
私が生きているうちに変わるとは、正直思っていません。多分私は、一生この「馬鹿」な状態で鬱に苛まれ、どこかで自殺、するのかなぁ。しそうですね、なんか。苦笑
理想を抱くことすら馬鹿にされる時代ですから。理想論ばっかりで動いてないって。
動いてないと思うのは、きっと、知らないからです。今確実に、動いています。いろんなものが。
私がブログを書いているのも、自分を保つためでもありますが、何か糸口を見つけたいからというのが大きいです。変化のために、何が必要なのか。というかそもそも、変化が必要なのかどうかも考えないといけません。



ここから先、吐き出しています。


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思考 | 00:38:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
簡単なこと。
大抵、望みとか今やるべきことって簡単なことで。
ややこしく考えて枝葉がたくさんになってしまうから、どれがいいの(泣)もうわかんない(つд;*)状態になるんですよね。
そして、代替案は結構たくさんある。
代替案というと語弊がありますが、本質は同じなのに、行動や言語レベルでは違うことが多いんです。
要は、見えてないだけなんですよね。名前に惑わされてるだけ。
仕事で何かを達成するのと、クラブ活動で何かを達成するのは同じことなんです。
要は、人が集まって一緒に何かを達成するって達成感とか、人と集まって何かをしているって楽しさと難しさ、あと一人じゃないって安心感を得たいだけ。
本質は代わりません。多少、報酬とかは変化するとは思いますが。仕事ならお金がもらえるけど、クラブではお金はもらえない、とか。

シンプルに考えるって本当に難しいなと思います。
本質は同じなんだから、言動それ自体に重きを置く必要って実はなくて。結果は同じなのに。
でも、見えるところだけ見て判断してしまうことの、なんと多いこと。勿体無いよなと思います。
見えるところを美しく見せようと必死になって、結局何してるんだろ、となることの、なんと多いこと。

見えるところをよく見せようとするから、無理がかかるんです。多分。
見えるところなんて本当はどーでもよくて、本質みたいなところが大事なんですよね。
どう見せたいかなんて、伝える時に考えればいい話で、特段伝えなくてもいいような努力とかそういうのは、たとえ惨めで泥まみれで汚くても、なんら問題ない訳で。
でも、その汚れた姿だけを見て批判や揶揄してくる人なんて、所詮うわべしか見てない人なので、気にしなくていいんです。

そして、他人は所詮他人で、分かり合えるなんてなくて。お互いに心地よい素敵な勘違いをしながら、人は生きてるんですよね。
すごいよなぁと思います。素敵な勘違いをする能力を、信頼する能力と言い換えられると思いますが、この能力が少しでも欠けると物凄く生きづらいんですからね…不思議な話です。
この信頼という話については、またそのうち考えてみようと思います。


そんな、簡単なこと。
でも、とても難しいこと。

思考 | 20:04:42 | トラックバック(0) | コメント(2)
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